〇 午前
「歴史探訪(天誅組を巡る)」
講師 富田林市 生涯学習課 中辻 亘
天誅組ゆかりの 地へまち歩き。
尊王攘夷の最激派の天誅組の一つの集団の史跡を巡
ぐるもので市役所~養楽寺~水郡邸(にごり邸)~
錦織神社(重要文化財)。
結局天誅組は幕府の追撃を受けて成就 しませんでしたが、もし成功していたら明治維新の 先駆けとなっていたと言われています。
動乱の幕末期に外国からの武力を背景にした開国要求に反対した尊王攘夷の最撃派の志士たちの中に河内勢も加わつており、京都の天誅組と合流し、大和・五条へ向かう途中、養楽寺、水郡邸で一泊したそうです。
河内の国から多くの勤王の志士を出したのだということを初めて知りました。
〇 午後
「昆支王と飛鳥千塚古墳群」
講師 大阪国際大学教授 笠井 敏光
皆さん 昆支王(こんきおう)をご存じでしたか。 先ずはこの人のプロフィールを紹介します。
出生地は・・・現在の韓国(百済)、 時代は・・・5世紀、 日本に渡来したのは・・・461年
当時の日本は・・・倭国でした。 当時は・・・倭国と百済は同盟国でした。
昆支王は、倭国に渡来して拠点としていたのが河内飛鳥である。日本で子供を産み5代目が日本の天皇
(光仁天皇)と結婚し生まれたのが、桓武天皇天皇だった。
日本との結びつきは非常に強く、それ以降も天皇家が継承してきたことを初めて知りました。
平成天皇が2001年の誕生日に先立ち、ワル-ドカップに合わせた記者会見で次のように述べられた。
「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本書紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」。いわゆるゆかり発言です。
ただ、日本のマスコミは一部でしか報道されなかったようです。
まもなく、百舌鳥・古市古墳が世界遺産に正式に登録されますが、この古墳群から出土しているものを見ると百済のお墓の出土品と共通点が多いとのことです。
笠井講師の講義は非常に楽しく、2時間の授業時間をオ-バ-してしまう内容でした。
あすかの漢字は3通りあるようです
①飛鳥 ②明日香 ③安宿(これもあすかと読むようです)