〇午前
CDの大畠氏より、講師の紹介がありました、
役立つ薬に関する知識と情報 講師は大阪大谷大学 薬学部教授 廣谷 芳彦氏
各人に配られた資料は、A4用紙裏表フルカラーで、27枚(54ページ)ありました。
大阪大谷大学 薬学部教授 廣谷 芳彦 講師
我々生徒の大半は、薬にお世話になっていると思われます。
そのためか、始まりから何かしら張りつめた空気がありました。
<1> 薬の服用時間 のいろいろ
1.食前 2.食直前 3.食直後 4.食後 5.食間
6.起床時 7.頓服 8.就寝前 9.時間薬
1.食事のおよそ30分前に服用します。
2. 食膳のお箸を持った時服用します。
3.食事が終わってお箸をおいてからすぐ服用します。
4.食事のおよそ30分後に服用します。
5.食事のおよそ2時間後に服用します。あくまでも食事の後です。食事をしている最中ではありません。
6.朝起きてすぐ服用します。30分以上横にならない。食事も30分以上経過してから。
7.症状が出た時、必要に応じて服用します。1回飲むだけで効果の得られる薬といういみがあります。
8.寝る前に飲む薬です。自己調整が可能ですが、自己調整して良い薬かどうか主治医か薬剤師に確認しておくこと。
9.食事の時間に関係なく指示された時間に服用します。
薬の副作用時に、あなたができる初期段階での処置
いつもと違う症状に気付いたり、”何かが違う”と初めに感じるのは患者自身なので、起こりうる副作用の初期段階で自分自身が出来ることを教わり、何をすべきなのかを知っておくことが非常に重要。
〇午後
(いそのかみ)
人と文学・石上露子の歌を詠む
文学研究家・作家 北澤紀味子 講師
1)人・露子の生涯
女・露子 母・露子 妻・露子
2)文学者・露子「明星」「婦人新聞」への入会
与謝野晶子、下中弥三郎の高い「夕ちどり興う」
3)美文への評価(美意識・抒情)
露子を世に導いた人々(鈴木鼓村・長谷川時雨・松村緑)
4)社会性・女権への目覚め 平出修の評価
明星(七月)に掲載「みいくさに今宵 誰か死ぬさみしさと髪吹く風の行方見守る」
この後に与謝野晶子の「君死に給うことれ・・・ 」
がうたわれた、世の動きに反するものとして、大きく問題視されることになった。
石上露子は日本の作家であり、歌人。雅号は「ゆふちどり」新詩社の社友となり、「明星」などに短歌、詩、小説などを発表した。代表作は「小板橋」
富田林寺内町にある、旧杉山家に生まれた。明治の女流歌人。
1882年6月11日~1959年10月8日没(明治25年~昭和34年)77歳。
●感想(北澤先生著の「火中行く・石上露子、織田作之助」より一部を引用)
富田林の寺内町で生まれた杉山家の露子(杉山 タカ)は明治の明星派の歌人であります。露子は二人姉妹の長女で、家は代々庄屋で酒屋を営み、幸せな生涯が約束されているかに見えました。ところが父親の病気で酒業は廃業に追い込まれ、母親とも生別という大きな不幸に見舞われます。また家庭内の複雑な人間関係が織りなす数々のトラブルで露子の神経を尖らせることになり、か細い感性を研ぎ済ませ、それが後々の文学的感性となったものと考えられています。
そして間もなく、唯一の励まし助け合う存在の妹も嫁ぎ先で病死し、露子の生きる力もそがれます。
それに文学での共通点を持って、お互い意識する間柄であった青年との恋も成就することなく、心添わぬ結婚話が進められました。
結婚後二人の子息に恵まれ、子供たちは京大・東大に進学しますが、その後長男は肺結核で32歳の若さで永眠、次男はノイローゼでピストルによる自死。この事実は露子をまたしても悲しみのどん底に落とします。
そんな中でも、結婚してから一時停止していた作歌活動を再開し、この世の悲哀・怒り・苦悩の数々に屈することなく歌を詠み続けます。
波乱万丈な人生を内に秘めた芯の強さで生き抜いた露子を郷土の女性として誇りに思うと共に、
露子がよりどころとした文学を私たちは、しっかりと見つめることができればと思っています。